佐保神社について

(旧縣社)
佐保神社

兵庫県加東市社777番地鎮座
(旧 兵庫県加東郡社町社777番地)

御祭神

中殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 神紋 (三階菱)サンガイビシ
東殿 天照大神 (あまてらすおおみかみ) 神紋 (五三の桐)ゴサンノキリ
西殿 大己貴命(おおなむちのみこと) 大国主命(おおくにぬしのみこと)と同じ 神紋 (左三つ巴) ヒダリミツドモエ

御社名

当社はもと坂合(さかあい)神社と呼ばれていました。 醍醐(だいご)天皇の朝に藤原時平、忠平等が勅を奉じて選定した延喜式(えんぎしき)の神名帳には、 播磨國賀茂郡(かものこおり)(今の小野加東加西の三市に当たる)の官社八座の中に、坂合神 社と載せてあります。この社名がいつ頃に現在の「佐保神社」となったかは詳しいことはわかりません。 この神社にちなむ「佐保社郷(さほのやしろごう)」という荘園名から「やしろ」の名が起こったといわれています。また鳥居(とりい)地区の石鳥居はかつての西の内の鳥居であり当時の社域をとどめています。
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御由緒

垂仁(すいにん)天皇二十三年の創建と伝えられていますがこの当時は加西の鎌倉峰(かまくらのみね)に鎮座されていました。のち奈良時代の初め養老(ようろう)六年(722年)に阿部野三郎太夫(あべのさぶろうだいふ)という翁に神託があり現在の場所にお(うつ)し申し上げたとのことです。 それ以来当社は郡内(旧加東郡内)のみならず播磨でも著名な神社として深い信仰を集めてまいりました。とりわけ鎌倉時代には尼将軍として有名な北条政子が当社を崇敬し、本殿の再建と四方内外に檜造りの鳥居八基を建立(こんりゅう)させていることからもその様子がうかがえます。なお現存する鳥居はありませんが西の内の鳥居は石造りに変わり約 1.2km西の道路脇に残存しており、「鳥居」という地名はこれに由来します。 しかし戦国時代の争乱により社領は荒廃し天文十六年(1547年)には火災 にあい神殿すべてが消失しました。その後永禄七年(1564年)に新殿を再建しましたが昔日の壮観はついに望むことができなくなったといわれています。 また江戸時代には代々将軍家より朱印状(しゅいんじょう)をいただき社領十石を賜り、明治維新を経て明治十四年(1881年)縣社(けんしゃ)に指定されました。なお、戦後この制度 は廃止されました。

神紋:重ね三階菱

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